ネパールのカトマンズには3週間近く滞在していました。
僕の計画はカトマンズからポカラという町に移動し、そこからバスでインドに向かうというものでした。インドに入るためにはビザが必要なので、カトマンズのインド大使館で観光ビザを申し込みます。
観光ビザを取るためにはいくつかの書類や証明写真、そして面接(面談)が必要でした。ビザを取るために面接なんて大袈裟だなあとも思いますが、それがインドスタイルなので素直に従います。
僕はタイのチェンマイにあるインド大使館で観光ビザの面接を失敗しています。なのでかなり緊張してカトマンズのインド大使館に望んだのですが、ほとんど質疑応答もなく一瞬で面接が終わってしまいました。チェンマイの面接に比べるとほとんど子供騙しでした。
そんなこんなでとにかくビザの申請を済ませた後は、ただただ出来上がるのを待つのみです。ビザの発行には一週間ほどの時間を要するということだったので、それまではのんびりとカトマンズで過ごすことに決めたのでした。
カトマンズに滞在していた頃は早起きする日が増えました。
昼過ぎまで寝ていることもありましたが、暇すぎて早く寝ることも多かったのです。暇なのは当時借りていたアパートのWi-Fiがかなり弱く使い物にならなかったことが主な理由です。
カトマンズでは早起きしてもやることがあります。まずは朝の何時からやっているのかも分からないいつ行ってもやっているチャイ屋に向かいます。そこであっついチャイをショットグラスくらいの小さな陶器で頂きます。小さいですが熱々なので飲み切るのには意外と時間がかかります。後、顔見知りになるとチャイを継ぎ足し継ぎ足ししてくれたりします。お金はちゃっかり取られますが、一杯数十円なので全然OKです。
チャイをしばいたら、僕はいつもパンケーキ屋さんに行っていました。バナナパンケーキがめちゃめちゃ美味しいのです。パンケーキの上に薄切りのバナナがたくさん載っているというシンプルな料理でしたが、その素朴な味わいが病みつきでした。
そのパンケーキ屋さんのWi-Fiは割と速かったので、その日に見るであろう暇つぶしの動画や映画をダウンロードしたり、ゲームをダウンロードしたりしていました。
長めの朝食タイムが終わったら、アテもなくカトマンズの雑踏をブラブラします。カトマンズの町中は今までのどこの国とも違う独特な雰囲気を持っていると思います。スパイスの香りや民族楽器による音楽などを日本で嗅いだり聞いたりすると、カトマンズの喧騒を思い出し出します。
道端でまたチャイを飲んだり、噂のラッシーを味わったり、安くて美味しいモモ(ネパールの餃子)に舌鼓を打ったり、購買意欲をそそられるお土産屋さんを冷やかしたりしていました。荷物を増やしたくないので滅多にお土産は買わないのですが、ネパールでは割と散財しました。お手玉とか買って延々と部屋で一人練習していたりもしました。
お昼ご飯は日本食や中華料理を食べることも少なくありませんでした。
ネパールでは日本食も中華料理もかなりレベルが高く、しかも安価でたっぷり大盛り食べられました。ネパールと言えばダルバート(カレー定食)ですが、これもまた美味で、お店によって全く違う味付けだったり内容だったりするのが楽しくて好きでした。
あまり言われることはないですが、僕はネパールの料理は世界でもかなり美味しいと思っています。聞いた話ですが、ネパールには料理の上手な民族というのがいて、彼らのお店はいつも繁盛しているのだとか。事実、ポカラでタカリ族という民族のダルバートを食べましたが、確かに他のダルバートとは一線を画す勢いで美味しかったです。
昼飯を食べ終わったら1度自分のアパートに戻ります。
先ほどダウンロードした動画を見たり、お手玉したり、小説を読んだり、ゲームしたりとやりたいことを好きなだけします。そして軽く昼寝をして夕方頃にまた町に繰り出します。
夕食を食べてスナックを買い込み、飲み物を補充してアパートに戻ります。売店によくぶら下がっていたオレンジ色の香辛料にまみれたポテトチップスがお気に入りのスナックでした。
カトマンズは太陽が沈むと真っ暗になります。街灯がほとんど点灯していなかったのは大地震の直後だったからなのか、元々ネパールがそういう国なのかは分かりませんが、お店がまだやっているうちは明るいのであまり夜遅くなる前に周ります。
真っ暗なカトマンズをウロウロしていると野犬にも絡まれるので早めに退散です。アパートではまた本を読んだりお手玉をして過ごし、眠くなったら早い時間でも気にせず寝ていました。9時とかに就寝することもザラでした。
そんな感じでカトマンズでのいつもの1日が終わります。
ネパールの記事もいくつか書いているのでコチラの一覧をどうぞ。
最後まで読んで頂きありがとうございました!