【旅の思い出し日記】ネパールのポカラでの日々

ネパール編

 カトマンズでインドビザを手に入れた僕は、ポカラ経由でインドに行くことにしました。

 ポカラではネパールのビザ期限が来るまでの間、のんびりダラダラと過ごすつもりでやって来ました。ビザの期限ギリギリまでいないとなんだかもったいないという謎の貧乏性のような症状を持っているので、特に予定がなくてもその国に居座り続けるのがいつもの旅スタイルです。

 ネパールにおいてポカラはカトマンズの次に人口の多い町だと聞いていたのですが、実際は人がほとんどおらず町中もガラガラでした。これには理由があって、訪れたのがネパール大震災の直後だったからなのです。

 そんな時期に観光客なんて迷惑なんじゃ? とも思いましたが、実際にはホテルでもお土産屋さんでもレストランでもずいぶん感謝されました。観光客が激減して観光業は虫の息だったのです。

 

 ポカラでの1日はまずヒマラヤ山脈を見上げるところから始まります。

 僕は旅をしているときは大抵お昼頃にモゾモゾと起き出すのですが、ポカラでは割と早起きすることが多かったです。理由はヒマラヤ山脈を見上げるためです。

 早朝の霧が晴れている状況でないと、ヒマラヤ山脈は見られないことがほとんどでした。時期的な理由もあるのかもしれませんが、早朝が一番確率高くヒマラヤを拝むことができたのです。

 ものぐさ小僧がわざわざ早起きするほどにそれは壮大で胸を打つ光景でした。例えるなら山というよりは氷の壁と表現した方が近いかもしれません。今まで見たどの山とも違う独特な雰囲気を持っていて、どこか浮世離れしていました。

 そんな風に宇宙に最も近い地をバルコニーから眺めながらボケーッとして、霧や雲で霞んできたらまた一眠りします。お昼頃に起き出してチャイを飲みに行くかご飯を食べに行きます。ポカラでは日本食レストランにもよく行きました。

 僕の感覚ですが、世界中の日本食レストランの中で一番日本ぽい味に近いのはネパールの日本食レストランなんじゃなかろうかと思っています。なんだか日本の定食屋っぽい感じ、味がするのです。

 もちろんネパールフードもたくさん食べていました。ポカラには”タカリ族”という料理のうまい民族がやっているレストランがあり、そこのダルバート(カレー定食)はまごうことなき絶品でした。

 

 ポカラには何軒か日本食レストランがあり、そのうちの一つに面白いおじさんがいるという話を友達の旅人から聞いていました。

 延々と陰謀論のようなものを聞かされることになるから気を付けろよ、とアドバイスを受けていました。

 僕は興味津々で教えてもらった日本食レストランに赴き、カツ丼かなんかを食べていました。例のおじさんらしき人は見当たらず、客は僕1人でした。

 ハズレの日だったか、と肩を落としていたのですが、食べ終わるか終わらないかぐらいの時にその人はやって来たのです。見た瞬間に彼がその人だということはわかりました。小柄なおじさんで、見た目はヒッピーぽいファッションにサングラスをしており、がに股で僕の隣のテーブルに座りました。

 従業員とも親しい様子で何やら盛り上がっていましたが、僕にも絡んでくれました。そしてそこから小一時間、陰謀論を語られました。トンデモなことばかり言うので、どうやってそんな情報を手に入れているのか尋ねました。ユーチューブだと彼は言っていました。

 今のようにユーチューバーがたくさん台頭する前だったので、もしかしたらアングラな情報がたくさんユーチューブにはあったのかもしれません。

 

 震災直後ということで、町の観光客はほぼゼロと言っても過言ではありませんでした。それでもほんのわずかにいる僕のような観光客はほとんどが日本人という不思議な現象になっていたのを覚えています。

 日本食レストランにいたおじさんは観光客というわけではなさそうですが、彼を除いてポカラでは合計3人の旅人に出会っており、3人とも日本人でした。町で欧米人を見かけたのは2、3回あったかないかくらいでした。

 その3人のうちの1人はかなり強烈な兄ちゃんでした。お尻まで破けたジーンズにヨレヨレのTシャツとボッサボサに伸びきった髪の毛にヒゲという出で立ちで、ヘロインを打って廊下で白目を向いてひっくり返っていました。

 次の日にその宿はチェックアウトしたのですが、レストランの例のおじさん曰く、ポカラではそうした日本人の若者がよく死ぬんだとか。航空券を買うお金を使い果たし、ドラッグにハマって、その加減も知らずオーバードーズして死んでしまうのだとか。

 「俺の友達もさ……」

 と言っており、毎回話半分に聞いていたおじさんの話でしたが、なんだか悲しそうな顔をしていたので印象に残っています。

 

 確かにポカラは人生最後の地としては美しくてお似合いなのかもしれませんが、どうせ死ぬならヒマラヤまで行って白骨化したいものです。

 僕のポカラでの日々は、ヒマラヤと美味しいご飯と変なおじさんという感じでした。観光もちょこちょこしましたが、振り返ってみると何気ない毎日の過ごし方の方が記憶に残っているので不思議なものです。

 

 ネパールについてのエピソードをもう一つ書いているので↓↓をどうぞ。

 

 最後まで読んで頂きありがとうございました!

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