海外で胸がザワつく4つの瞬間

旅のノウハウ・etc

 綺麗で秩序ある我が国日本と違い、外国には汚く無秩序なところがたくさんあります。それを楽しむのも旅の醍醐味ではありますが、中には胸がザワザワするようななんとも言えない気持ちになる光景を目にすることも多々あります。

 今回はそんな目と思考を背けたくなるようなことについて紹介したいと思います。日本人である幸せとある種の責任を感じて複雑な気持ちですが、長く旅をしていて出会うこの胸のザワつきを共有することがその責任の1つなのかなと思います。

 

物乞い

 外国に旅行すると物乞いの多さに驚くと思います。もちろん国にもよりますが、外国では日本で見かけるホームレスの人たちよりもかなり積極的に物乞いをする人たちがいます。

 実は日本のホームレスの数も少なくなく、2018年の厚生労働省の発表では5,000人弱のホームレスが確認されています。恐らく実際にはもっといるでしょう。

 日本と外国のホームレスの違いは多々ありますが「声をかけてくる事」が一番の違いでしょうか。他にも、「ついてくる」「袖を引っ張る」「赤ちゃんを見せる」などは日本でされたことがありません。

 身体的な事情をアピールする人も日本では見かけないように思います。

 ムスリムの国々では割と綺麗な格好をした人が道端でお金をくれと言ってくることがあります。僕よりもよっぽど綺麗な出で立ちなこともあり、当初は怪訝に思っていましたが文化的な理由がありました。

 喜捨(サダカ)というイスラム教の教えです。これは裕福な人が貧しい人に施しをすることによって天国へ行けるというものなのです。興味深いことに、「貧しい人は天国への道を示してくれる感謝されるべき存在」として解釈されていることです。

 彼らが堂々とお金をくれ、食べ物をくれと言ってくるのは決して無礼千万でやっているわけではないのです。

 物乞いに対する旅人の対応は様々ですが、僕は食べ物を持っていたら渡すことが多いです。お金はポケットに入っていたらという感じです。「全く渡さない」「必ず渡す」などと決めている人もいますが、僕は完全に「気分で」という我儘な感じです。

 

インドのリキシャ

 インドにはリキシャという人力車があります。日本で言う人力車そのままで、人が引いてくれる車のことです。

 すごく安い交通手段で、場所にもよりますが基本的にどこにでもたくさん走っています。リキシャを見ると「インドへやって来た感」があり、もはや風情すら感じることがあります。

 そんなインド文化の一端を担うリキシャですが、胸がザワつく瞬間があったのです。それは「ガリガリのインド人が大柄な欧米人カップルを必死で引っ張っている時」です。

 彼の商売道具であるボロボロのリキシャは明らか限界で甲高い悲鳴を上げ、涼しい顔をしているカップルは片方だけでもインド人の彼とリキシャよりも体重がありそうな感じです。

 いかにも風刺画にありそうな構図で、写真が残っていないのが悔やまれます。

 数ある移動手段の中から、しかも数あるリキシャの中から何故棒切れのような彼が選ばれたのかはわかりませんが、チップは弾んであげて欲しいと心から思いました。

 

スラム街から見上げる高層ビル⇔ビルから見下ろすスラム街

 東京の新宿でも見られた光景ですが、もっと露骨な景色が外国では見られます。

 ドブの匂いにまみれた錆びまみれのトタン屋根が並ぶスラム街や貧困街から、遠くに視線をやるとピカピカの高層ビルやマンションがそびえています。

 どこからなのか分かりませんが、明確な境界線が2つの居住区の間にはあるのでしょう。それは時に国境よりも深く刻まれた地球の傷口として存在しています。

 どちらの側に立っていても胸はザワつき、反対側を眺めながらあれこれと考えてしまいます。

 僕はまだ行ったことがありませんが、南アフリカのヨハネスブルクやケープタウンの航空写真は衝撃的です。

 インドのムンバイも有名な写真があります。グーグルマップで調べてみましたが十分見て取ることができます。航空写真で拡大してもらえるとよく分かると思います↓↓

 

 囲われている地域がスラム街のある場所で、その左の緑のエリアにはしっかりと区画整理された高級マンションが立ち並んでいます。

 マンションからスラム街を見下ろして、彼らは一体何を思っているのでしょうか。

 

物売りの少年少女

 外国にはまだ小中学生くらいの小さな子供たちが働いていることが珍しくありません。

 観光地でポストカードやマグネットを売り歩いていたり、お店の手伝いをしていたりもします。

 学校に行って勉強することよりも働いてお金を稼ぐことを強制されているのです。それは時には両親から、そして時には社会から強制されます。

 子供たちからモノを買うことは、不登校を助長するのでやめましょうという人もいます。

 家計が本当にギリギリならばそんなことは言っていられないのでしょうが、実際の真実がどうなっているのかどうするべきなのか僕には分かりません。なのでこれも僕は自分のその時の気分で買ったり買わなかったりしています。

 僕は自分の決断に関して滅多に後悔をすることがないのですが、1つだけ今でも覚えていることがあります。

 インドの寝台バスで横になっていたとき、1人の少年が僕の部屋のドアを勝手に開けて水を買えと言ってきたのです。僕は既に買っていたのでいらないと追い払おうとしましたが、中々しつこく粘ってくるのです。

 インドでしつこくされることなんて、日本で扉をおさえててくれないくらいに当たり前のことなんですが、その時の僕はなんだかイラつていて邪険に追い払ってしまいました。

 最終的に少年は悲しそうに去って行きました。僕はバスの窓から少年がバスから降りるのをぼんやりと眺めていたのですが、彼の父親らしき人物が彼の頭を叩いたのです。

 インドで水は1本日本円にして数十円です。

 大人と違い、彼らのモノを売る動機は「コイツ、金持ってるから搾り取ってやろう」ではなく「母ちゃんに褒められたい」」「父ちゃんに怒られたくない」というような単純なものなのかもしれません。

 

最後に

 確かに貧乏旅で節約節約の旅をしていると物乞いや物売りを邪険にしがちかもしれませんが、彼らは私たちよりも圧倒的に貧乏なのです。

 じゃんじゃんお金をばら撒く必要はありませんが、その手に持っているハンバーガーくらいはあげてもいいんじゃないでしょうか。

 そんなサンドイッチ1つで、十円玉1つで何かが変わることはありませんが、その日少年が叩かれないで済むなら、その日1日お腹を空かすことがなくなるなら、たまには施して天国に梯子をかけるのも悪くないと思います。

 最後まで読んで頂きありがとうございました!

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