ホーチミンはバックパッカーの3大聖地と呼ばれるフォングーラオ通りを有する人気の観光地です。
フォングーラオ通りでは毎晩がお祭り騒ぎようになっており、バーがひしめき合っています。お土産や食べ物を売り歩いていたり、宙に火を吹くパフォーマンスでチップをもらう子供たちなんかがいます。
客引きの中には片言の日本語で話しかけてくるような人も少なくありませんでした。
今回はそんなホーチミンで沈没していた時に出会った人たちの紹介をします。
フレンドリーな現地の学生たち
僕の印象ではベトナム人は割とフレンドリーでした。
僕はいつもホーチミンの公園で横になってゴロゴロしながらみんなを眺めていたのですが、たまに話しかけられて一緒に遊んだりもしました。
ちなみにですが、公園でそんなことをしていて何が楽しいんだと思う人もいるかもしれませんが、これが中々面白いのです。集団でダンスをしていたり、謎の舞踊をしていたり、おばちゃんたちがエクササイズしていたり、バドミントンの羽根みたいなのを蹴り合っていたりと日本ではあまり見られない光景を観察できます。
僕もバドミントンの羽根みたいなやつを蹴る遊びに入れてもらったことがあります。実際にはバドミントンの羽根ではなく、羽根にバネがついていて蹴り上げるとかなり高くまで飛んで行くシロモノです。これを交互に足でキャッチボールするのですが、中々面白いです。ハマりますが難しいです。
ちなみに調べてみたらアマゾンで発見しました。こんなやつです↓↓。ダーカウというんですね。
僕は公園でこれをやり始めた集団がいたら、たまに混ぜてもらっていました。ただし、達人みたいなおっちゃんたちとはレベルが違うので混ぜてもらうことはせず、見ているだけでした。
大抵は現地の学生が仲間に入れてくれて、繁華街であるフォングーラオ通りのすぐ横の公園でめちゃくちゃ健全な遊びをしていました。
めちゃくちゃ怖かった安宿のおっちゃん
ホーチミンのあるドミトリーに僕は一週間ほど宿を取っていました。
そのゲストハウスはかなりコスパが良く、室内もとても清潔で気に入ったので延泊ついでにまとめて一週間の予約をしました。しかし、一つだけそのゲストハウスには欠点というかデメリットというか、なんとも言えない要素があったのです。
ゲストハウスを管理しているおっちゃんがめちゃくちゃ怖いのです。見た目も怖いし中身も怖いです。丸っこい体型に丸坊主で丸メガネをかけており、金のネックレスにいつもチェックのシャツを着ていました。
横になりながら共有スペースでお菓子をボリボリ食べていると、ジッと監視してきます。僕がお菓子をこぼそうものならベトナム語と英語を織り交ぜて注意してきます。
安宿特有の緩い雰囲気はそこにはなく、だからこそ隅々まで清潔なのでしょう。僕は終始そのおじさんにめちゃくちゃビビっていました。彼の前を通るときはコソコソと早足で過ぎ去るようにしていたのですが、ちょいちょい絡んで来るのです。
「ベトナム語を知っているか? 何を知っているんだ? ハローはなんて言うか知ってるか?」
もう顔が怖すぎて喋り口調もぶっきらぼうなので、話したくないのですが質問されては答えるしかありません。僕はいつもビクビクしながら過ごしていました。
しかし、ある日僕はそのおっちゃんに救われたのです。
ある日、ドミトリーに同室していたイケイケのアメリカ人が夜の町に繰り出そうぜーと誘ってくれたのですが、僕は気分が乗らなかったので断りました。しかし、彼は何故かめちゃくちゃしつこく誘ってくる上には、最終的にはグチグチ悪口を言い始めたのです。
僕が途方に暮れていると、それを見ていたおっちゃんが「そこのジャパニーズは嫌がってるんだからお前1人で行けよ」みたいなことを言って追い払ってくれたのです。
英語がまだなんとも未熟だったその頃の僕にはまさに救世主でした。
小説家の女性
ホーチミンの宿で知り合った50代くらいの日本人女性の方に出会ったことがあります。
なんでも、小説やエッセイを書いて生活しているということで、久しぶりに日本語が話せてとても楽しかったのを覚えています。
ベトナムで人々の生活を見てみたいのだと言っており、僕が公園をオススメすると一緒に行ってみようかということになりました。僕なんかとは違ってかなり真剣に現地の人々を観察しており、歩きながらも時々メモに色々と書き込んでいました。
いつも僕が座っているベンチで雑談しながら人々を眺めていたのですが、しばらくして僕はお腹が空いたのでその場を後にしました。
特に彼女と約束していたわけではありませんでしたが、ご飯を食べ終わると僕はまたそのベンチに戻ってみました。彼女の姿は既にそこには無く、僕はいつものように1人でベンチに腰掛けて公園を見回しました。
思わず吹き出したのですが、先ほど紹介したダーカウを現地のおっちゃんたちと彼女は楽しんでいたのです。ベンチに座っている僕に気づいて彼女は戻ってきたのでした。その日は1日ずっとお喋りしていましたが、次の日には僕はカンボジアに行くバスチケットを取っていたのでお別れでした。
50過ぎてるわりにはめちゃくちゃ元気でバイタリティに溢れている素敵な方で、もっとお話ししたかったので無念でした。
最後に
ベトナムに関する記事もいくつか書いているのでコチラの一覧からどうぞ。
最後まで読んで頂きありがとうございました!