【旅の思い出し日記】楽しかったラオスの1日

ラオス編

 その日僕は、ルアンパバーンの街をフラフラと歩き回っていました。

 太陽が沈みかけ、辺りは暗くなり始めていましたが、マーケットや屋台は勢いを増していました。

 バンビエンから1人バイクを飛ばしてこの町までやってきたのですが、なんだかんだ10時間くらいかかりました。山を越えるときにバイクのガソリンが切れそうになったり、大型トラックに追い回されたり、山道をグネグネ走るのに神経使ったりと、肉体的にも精神的にもヘトヘトの1日でした。

 とはいえ、見たこともない絶景や一寸先も真っ白な霧に包まれたりと、エキサイティングな経験を経てまだ冷めやらない興奮を鎮めようと町歩きをしていました。あと、お腹が空いたのでちょうどいいレストランか屋台も探していました。

 

 「お、日本人ぽい!」

 不意に後ろから日本語が聞こえてきたので、思わず振り返りました。

 ニコニコした男3人組がキラキラした目でコチラを見ていたので、むさ苦しいなあと思いながらもそのまま合流しました。

 ラオスのぶっかけ飯屋台に座っていた3人はそれぞれ個性的な人たちでした。学生と旅人と執行猶予中のおじさんです。執行猶予中は海外に出られるのか疑問でしたが、その辺は特に深掘りしませんでした。

 ちなみにぶっかけ飯は最高でした。おかずを好きなだけ選んでご飯をよそってもらうのです。僕らは腹一杯夕飯を食べて、存分に話に花を咲かせました。そしてそのまま次の日の観光予定までたてたのでした。

 

〜次の日〜

 3人と近くの有名な池だか川だか滝だかにやってきました。

 中国人たちが入ってはいけない滝の上流にある柵を越えて行き、そこで石鹸を使って身体を洗っていたのには開いた口が塞がりませんでした。

 

 しばらくザバザバと遊んでいると世界一周中の夫婦に出会いました。仲良くなってまたしばらく遊んでいると、フィリピンの旅人に出会いフランス人の旅人とも仲良くなりました。

 フィリピンの子は日本語が上手で、さらに英語も綺麗だったのでコミュニケーションに関しては問題なく、すぐに仲良くなりました。フランス人は良いカメラを持ち歩いていたのでみんなで記念撮影をしました。

 

 世界一周中の夫婦が今晩はシェア飯をしようと提案してくれたので、みんなは夜になったら彼らの泊まっているホテルに再集合することになりました。買い出しはみんながやってくれたので、僕は宿に帰ると夜までグータラ寝ていました。

 教えてもらった住所にたどり着くと、既に料理はいくつか出来上がっていました。

 そしてさらにシェア飯をする仲間が2人増えていました。その宿に泊まっていた女性が1人と宿のオーナーです。オーナーはすごくいい奴で中国人でした。中国人も色々いるんだなあなどと考えていると、御馳走がそろったのでみんなでガツガツ食べました。

 

 食べ終わると、料理をしていない野郎共が集まってジャンケンをすることになりました。皿洗いを決めるジャンケンです。

 旅は不思議なもんです。昨日の今頃はようやくルアンパバーンにまで辿り着いてヘロヘロとしていた僕ですが、今は皿洗いを賭けてジャンケンをしているのですから。

 

〜出発〜

 僕がルアンパバーンを出発したのは一番最後でした。

 つまり、ルアンパバーンには僕が出会って仲良くなった人はもう誰も残っていなかったのです。みんなは次々と別の町や国に向かって旅立って行ったのです。

 僕は宿の木の壁を眺めながらこの後自分はどうするか考えます。

 結局元いたバンビエンに戻ることに決めました。バンビエンはパーティの町です。そこにはそこで出会った旅人たちが一週間経った今でも毎晩飽きずにパーティをしているようなので、付き合ってやろうと思い立ったのです。

 それともう一つ、来た道のりで見た景色をまた拝みたいというのもありました。

 色々な理由が重なったということもあるのですが、後にも先にも景色で涙が出てきたのはバンビエン〜ルアンパバーン間の田舎道だけでした。写真なんて撮らんよ主義を貫いていた僕でしたが、流石にその時ばかりは写真を撮りまくっていました。

 大抵の人はバンビエン〜ルアンパバーン間はバスか乗合タクシーで通り過ぎてしまうので、ちょっとだけレアな写真たちです。

 その写真をここに貼り付けたい気持ちはいっぱいなのですが、その後起こった悲しい悲しい出来事によって全ての写真は失われてしまいました。

 詳しい悲しい出来事については↓↓をどうぞ。

 

最後に

 「ラオスってどんな国なん?」って人は↓↓をどうぞ。

 

 最後まで読んで頂きありがとうございました!

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